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お久しぶり上越線・2・貨物列車往来

鉄道撮影は基本的にアウトドアスポーツのようなもので、曇天の日も小雨の日もあります。低感度のリバーサルフィルムを使っていた頃は、そういった光量が制約される条件下で被写体ブレを起こさないだけのシャッター速度を確保するために絞りを実用範囲内のぎりぎりまで開けなければならず、すると被写界深度は浅くなります。そのわずかしかない合焦面を画面内の狙った位置に持ってきて固定する、いわゆる置きピンをするのですが、ピント位置を意図した通りにコントロールしかつその位置に列車が差しかかった瞬間にシャッターを切るという動作ができるようになるまでが実は一苦労で、そんなわけでカラーリバーサルを始めてからしばらくは失敗の山でした。しかし、誰にも教わることができずに何度も繰り返したその失敗が、結局いろんなことを教えてもくれた気がします。

一枚切りにこだわるのはいったん止めて、動体視力の衰えた中年男らしく連写機能に身を委ねることにしました。わがカメラD300の連写速度は秒間せいぜい5コマちょっとというところですが、それでもちゃんと実用になります。撮り進むにつれて、カンが少し戻ってきました。

最新鋭の大型電気機関車EH200が牽引する、コンテナ満載の下り貨物列車。上越国境から越後平野に向かって坂を駆け下りるせいもあってか、貨物列車とは思えないほどの速さを感じます。ちなみにこの列車は、神奈川県内の始発駅を前夜の午後10時前に出発し、機関車を取り替えながら延々と走って札幌まで行くのです。終着は、明日の午前6時過ぎ。二晩をかけて走るのですね。

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貨物95レ 梶ヶ谷発札幌行き 上越線越後湯沢~石打間 2012/5/26

続いて、上り列車を順光で捉えられる場所へ移動。以前よく通ったポイントです。直線区間で単調なのが玉にキズですが、ここは手堅く、三脚にカメラを固定して。

681系「はくたか」が、さわやかに走り抜けていきました。福井を午前7時半に出て、あと一息で終点です。

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特急1005M「はくたか5号」福井発越後湯沢行き 上越線六日町~塩沢間 2012/5/26

そしてまたも貨物列車。機関車の後ろにはあずき色のコンテナがずらりと並び、力強さいっぱい。

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貨物2082レ 新潟発梶ヶ谷行き 上越線六日町~塩沢間 2012/5/26

このほか115系の上越線ローカルや681系貫通型もやってきて、目を楽しませてくれました。久々の鉄道撮影を堪能した半日でありました。

あと一回、おまけ編があります。

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2012-05-29 : 鉄道写真 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

お久しぶり上越線・1・シシルイルイ

5月26日(土)。朝から晴れ間ののぞく、期待の週末。

ブログ「風薫る場所へ・・・」のDachiさんの車に乗せていただいて、早朝東京を出発。関越道を北へ走り、谷川岳の向こうを目指しました。狙うは上越線の列車撮影。

高速で走る長い編成を撮るのは2010年4月の成田エクスプレス以来で、2年以上のブランクがあります。チョウと登山に入れ上げて鉄道から離れていたせいですが、まあ何とかなるさとタカをくくって線路際にポジションを構えました。

果たして・・・イヤになるくらい下手になっておりました。最初のうち、撮る写真はもう死々累々状態。

まず、標準ズームを装着して迎えた681系「はくたか」。架線柱の黒い影が、純白のボディーにでかでかと写り込み。10年ほど前、これで寝台特急「なは」の写真を台無しにしてしまったことがあり、もう二度とこんな失敗はしないぞと心に誓ったはずなんですが(^^;)。さらに、列車最後尾が画面からはみ出すという読みの甘さも。

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特急1002M「はくたか2号」越後湯沢発金沢行き 上越線越後湯沢~石打間 2012/5/26

次に、北越急行線直通のローカル列車。これにも架線柱の影が残り、さらにリレーボックスらしき箱が車体前面の輪郭線(右下)からのぞいています。まあここは処理の難しいところかもしれませんが。

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828M越後湯沢発犀潟行き 上越線越後湯沢~石打間 2012/5/26

ダメ押しは、連写機能を使わずに一回のシャッターで写し止める「一枚切り」で狙った683系「はくたか」。シャッターボタンを押す指が反応してくれず、この通りとても窮屈な画面に。手持ちの一枚切り、以前は自信あったんですが。

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特急1004M「はくたか4号」越後湯沢発金沢行き 上越線越後湯沢~石打間 2012/5/26

ああん、いやん。もうダメぇ・・・

そんな椿の茶屋の心を見透かしてか(^^)ウスバシロチョウが次々とやってきて、ぼくを撮ってよとばかりに周囲を飛び回ります。一石二鳥といきたいところですが、ちくしょー、カメラボディは一台しか持ってないのよ。

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ウスバシロチョウ 新潟県南魚沼市(塩沢町)内 2012/5/26

しかしまだまだ列車はやって来ます。

続きます。

2012-05-26 : 鉄道写真 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

鉄道博物館・6・国鉄残影

鉄道博物館シリーズの最後です。期末期初で仕事が忙しいことを言い訳にしながら記事を小出しにしてしのいできましたが、ついにネタが底をつきました。桜が咲いてチョウが飛んで、という季節を首を長くして待っているところです(^^;)

・ ・ ・ ・ ・

椿の茶屋にとってひとつ忘れられない記憶があります。18歳のとき0系新幹線に乗って一人で上京して、東京駅の八重洲側にあった手荷物預かり所(そんなものもありましたね)でボストンバッグを預かってもらおうと訪れたときのこと。奥にたまっていた数人の職員さんたちにおどおどと「すいませーん」と呼びかけたら、「申込書を書いてよっ!」という言葉と共にボールペンが宙を飛んできたのです。地方の職員さんはここまですることはありませんでしたから、東京っておそろしいところだという意識を、そのとき強烈に刷り込まれたのでした。

博物館の片隅に、あの頃乗った0系新幹線の座席が展示してありました。いちばん最初の、回転せずに背ずりを手で押して倒す、リクライニング調節ができないタイプの席です。これに反応できる方はおそらく40代かそれ以上ではないかと(笑)

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鉄道博物館 2012/1/22

そして、昭和62年(1987年)にJRが発足してからもう25年。気がつけば東京駅前に国鉄本社の姿は影もかたちもなし。あっという間に昔のことになってしまいましたけれど、かつての国鉄をまだご記憶でしょうか。特急列車や寝台車などなつかしい思い出は尽きませんが、いろいろな側面がありました。毎年垂れ流した巨額の赤字、その背後にあった赤字ローカル線問題と鉄道建設に関する政治家の<我田引鉄>、運賃の大幅値上げ、こじれにこじれた労使関係と相次ぐストライキ。ペンキで「斗争」などと字の書かれた汚れた電車。

博物館に展示されている鉄道車両の中には、ポスター・広告類まで昔のものを貼っているものがあります。歩きまわるのに疲れてふと視線を上の方にやると、目に飛び込んできました。

昭和51年、それまで長い間据え置かれていた運賃が一気に50%引き上げられたときの社告。覚えてます。並行して走る路線バスに比べてひどく安かった電車賃が、いちどに高くなりました。それでもバスよりずっと安かったのですけど、しかしこれ以降、長距離旅客を飛行機に奪われるようにもなってゆきました。逆にいえば、それまで文字通り<雲の上>の存在だった飛行機が、少しずつ身近な乗り物になってゆく契機でもあったのでした。

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鉄道博物館 2012/1/22

こちらはもっと古くて昭和41年10月、営団地下鉄(これもいつの間にか古い言い方になりました)の東西線が国鉄中央線と乗り入れを始めた頃の広告。現在は三鷹から西船橋まで、あるいはもっと先まで行くようになりましたけど、最初は荻窪から大手町までだったんですね。

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鉄道博物館 2012/1/22

椿の茶屋にとって東西線は毎日乗る電車ですからこれがごく身近な話題だったりするのですが、そうでなくても、左側に写っている国鉄バスのガイドさんのイラストに目を奪われる方は多いのではないかと。昭和40年代風ですが、今見てもやはり美人ですね(^_^)

と、忘れかけた過去の記憶を呼び覚ましてくれる博物館でした。鉄道のことばかりじゃなく、自分の歩いてきた道にあった種々雑多なことまで、いろいろと。

鉄道博物館シリーズ、以上です。

2012-03-25 : 鉄道写真 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

鉄道博物館・5・色ガラスの物語

しばらく外出します。次に記事を更新してみなさまのところへおうかがいできるのは、20日頃の見込です。

・ ・ ・ ・ ・

また間があいてしまいましたが、再び鉄道博物館です。入口付近に大きく飾られているステンドグラス。鉄道にまつわるいくつかのお話から取った題材を組み合わせて描かれているようです。

汽車を下りて山へと歩きだす登山者。山が自動車ではなく汽車に乗って行く場所であった時代。向こうに聳える青い山は、どこの山だろうなぁ、と思わず想像してしまいました。

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鉄道博物館 2012/1/22

これはすぐに考えがつきました。阿房列車の内田百でしょうか。こういう格好をした男の人、昔はたくさんいましたね。明治生まれの祖父は、たばこを買いに外へ出るにも背広を着て帽子をかぶるような人でした。40年も前のことですが、そんなことをちょっと思い出しました。

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鉄道博物館 2012/1/22

これは何のお話でしょう。説明板のメモなどしてこなかったもので、思いつかないのですけど、どこか惹かれた一こまです。

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鉄道博物館 2012/1/22

続きます。

2012-03-17 : 鉄道写真 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

鉄道博物館・4・ゴクラク寝台車

最近次々と姿を消している、青い寝台列車。

JRとしては止めたかったのでしょう(理由はいろいろ言われてきましたが)。B寝台に新幹線のグリーン車並みの値段をつけて、食堂車はおろか車内販売も止めて、ということをすれば乗客は新幹線や夜行高速バスにおのずと向かうわけで、おそらく予期された通りに客足は遠のき、そして車両の老朽化と共に廃止されてゆきました。今月のダイヤ改正で「日本海」がなくなると、特急列車として残るのは青森行きの「あけぼの」がいよいよ最後の一本となりますね。

しかし、これほど乗って楽しい列車もなかったよな、と思います。車窓から夜景を眺めながらビールを飲み、あとは本を読んで寝るだけ、というのがゴクラク~って感じで。食堂車があった頃は、特急列車の優越感みたいなものを思い切り味わえましたし(^^;)

こんにち博物館に入っているのは、いちばん古い20系客車。昭和30年代初めの時代の匂いをぷんぷんさせるデザイン。そういえば、定期の特急列車として最後までこの客車を使っていたのも「あけぼの」でした。

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鉄道博物館 2012/1/22

椿の茶屋が全国を自由に旅行できるようになったときには、博多行き「あさかぜ」の客車はもっと新しいものに取り替えられていましたが、臨時の特急列車にはまだ使われていて、また九州などで急行列車に使われたりしていたこともあって、何度もお世話になりました。ご覧の通り、寝台が三段になっていて、中段は係の人が出し入れしてくれる仕掛けでした。この寝台はちょっと狭いのですが、しかし一晩くつろぐ分には十分な広さで、特に不都合は感じなかったと思います。

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鉄道博物館 2012/1/22

そしてゴクラク。

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鉄道博物館 2012/1/22

・ ・ ・ ・ ・

で、博物館とは関係ありませんけど、そういえばと思って探したら、昔「あさかぜ」に乗ったときの切符が手元に残っていました。背景は、一緒に出てきた交通公社の切符入れ袋(内側)です。東芝のブラウン管テレビに岡田有希子というのがなんだか時代ですけど、青い寝台車もまた時代の向こうへと走り去ろうとしているようです。

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あさかぜ4号特急券 2012/3/3

続きます。

2012-03-03 : 鉄道写真 : コメント : 10 : トラックバック : 0 :
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